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ゆかりの地をゆく|対馬

以酊庵いていあん

現在地:長崎県対馬市厳原町国分

写真
以酊庵跡地。

 日朝外交を推進するため、外交文書に精通した専従の担当者が必要となり、天正8年(1580)、宗義調(よししげ)の要請により景轍玄蘇けいてつげんそが外交僧として対馬に赴任することとなった。日朝関係に尽力した玄蘇は、文禄4年(1595)朝鮮の宗主国である明の神宗万暦帝から「日本国光禅師」の号を賜り、蜀紅錦しょくこうにしき袈裟けさを授けられた。この袈裟は現在西山寺に伝えられている。

 以酊庵の創建は、慶長2年(1597)、同16年の2説があり正確には不明であるが、玄蘇が宗家より天道茂てんどうしげの扇原に土地を賜り寺を建立した。玄蘇が生まれた天文6年(1537)=丁酉にちなんで以酊庵と名づけられた。それが国分寺と寺地を交換して日吉に移り、享保17年(1732)の大火で焼け、西山寺を仮居としたが、明治元年(1868)に廃寺となった。

 玄蘇の後継者玄方げんぼうが以酊庵住持の時、柳川一件で国書改ざんが露見したことから、京都五山の僧を交替で赴任させることになった。幕府の任命による外交僧の輪番制であったため、幕府の崩壊と同時に以酊庵も廃寺となった。

参考文献
  • 永留久恵『対馬歴史観光』杉屋書店、1994年
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