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ゆかりの地をゆく|対馬

国分寺こくぶんじ

現在地:長崎県対馬市厳原町天道茂

写真
国分寺の山門。対馬随一の四脚門(よつあしもん)で、文化4年(1807)に建立された。平成4年(1992)に町の有形文化財に指定されている。

 天平13年(741)、聖武天皇により国毎に国分寺・国分尼寺が造られた。対馬は大宝元年(701年の令制施行により国を「とう」と改められたので、国分寺と言わず「島分とうぶんじ」という。この島分寺が天安元年(857)の変により炎上したと言われる。

 応仁2年(1468)、府中に居をかまえた宗貞国さだくには、弟の甫庵宗睦ほあんそうぼくに国分寺の復興を命じたが、いつ落成したのかは不明である。この時再建した場所は、室町・戦国時代の瓦の出土状況から古代島分寺跡の山際であったと推定される。

 規模を縮小して山際に再建されていた国分寺は、寛文5年(1665)宗義真よしざねが金石屋形を拡張した際に日吉へ移された。さらに天和3年(1683)、以酊庵と振り替わって天道茂てんどうしげに移り、現在に至っている。

 江戸時代、国分寺は朝鮮通信使来聘に際し客館として使われた。享保17年(1732)の府中大火で堂塔を焼失したが再建され、文化8年(1811)の朝鮮通信使の対馬来聘に際し、客館となる本殿と山門の改築が行われた。明治に客館は解体されたが、その跡地は今も残っていて字名を客館という。

参考文献
  • 永留久恵『対馬歴史観光』杉屋書店、1994年
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