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ゆかりの地をゆく|江戸屋敷と蔵屋敷

京都対馬藩邸きょうとつしまはんてい

現在地:京都市中京区恵比須町

 対馬藩の京都藩邸は「河原町三条上ル」、京都の繁華街四条河原町の北である。江戸時代物資輸送の大動脈であった高瀬川沿いにあり。高瀬川は江戸時代初期、角倉了以すみのくらりょういによって開削された運河で、京都、伏見をへて宇治川、淀川を通り、大坂から瀬戸内海へと続く。対馬藩は高瀬川を使って日朝貿易の輸出入品などを運び込んだ。

 実は元治元(1864)年6月5日、新撰組が尊皇攘夷派志士を襲撃した池田屋事件の際、長州藩士桂小五郎(木戸孝允)が対馬藩邸に逃げてきたとの説がある。対馬藩邸は長州藩邸に近く、また対馬藩と長州藩は、藩主宗義章の妻が長州藩主毛利家の娘(万寿、慈芳院)、親類であった。

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対馬藩邸跡から望む高瀬川。
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高瀬川を往き来する高瀬舟。高瀬川は水深が浅いため船底が平らであった。
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高瀬川の一之舟入、舟入とは高瀬川を往き来する高瀬舟が方向転換をする場所で、対馬藩邸の北にもあった。
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